「どうして勉強するの?」って子供に聞かれたら

高校生の頃、

「数学なんて、お釣りの計算ができたらそれで良いじゃん!」

って、数学の先生に言ったら、

 

その先生が、ムッとした表情で

「だったら、勉強しなくていい!」

と言い、軽く怒らせてしまったことがある。

 

確か、微分積分かなんかの先生だったと思うんだけど、その先生の存在価値を否定するような発言をした僕も悪いんとは思うんだけど、そこでムッとして数学を学ぶ意義を伝えられないような先生は、「それはそれでどうなの??」とも思う。

 

そんなことを思い出している時、ふと思ったんだけど、僕はどうして中2の娘に勉強をするよう仕向けている(やれ!とは言わず、あくまで勉強するように、それとなく仕向けている)のはなんでなんだろう??

 

あるいは、色々と物事を深く考えるようなお子さんだと

「どうして勉強するの?」

なんて、親に聞いてくるかもしれない。

 

 

どうして勉強するのか?

数学は、お釣りの計算ができれば、それで十分なのか?

 

 

オッサンの今となっては、数学はお釣りの計算ができれば十分だとは思わない。

学校の勉強って、実益に結び付けるためにやってるわけじゃないと思うんですよね。

せっかく社会に出る前なんだから、むしろ実益とは全く関係ないところで、勉強する方が大事だと思うんです。

 

実益に結び付くような勉強は、すぐに身に付くから、必要になったときにやれば良いと思う。

 

だから、学生時代の勉強は、色んな場面で生かせる脳みそ(能力)を鍛えるためにある。

あるいは、興味の幅を広げるためにある。

 

と、オッサンの今となっては思う。

 

どういうことかと言うと、、、例えば、数学の文章題(あるいは証明問題)。

問題文を読んで、どうやったら解けるか、うんうん考える。

すると、ふと思いつく、こうしたら解けるじゃないかと。

これって、正に直観ですよね。

 

そして、その思い付きに対して、数式を組み立てて論理的に説明していく。

 

おーーーー!!

数学は、直観的思考能力と論理的思考能力を鍛えるのに、もってこいの勉強だったのか!!!

 

直観が鍛えられると、「これって、こうやったら良いんじゃね?」とか「こんなやり方の方が、面白いんじゃない?」みたいな、オリジナリティ溢れる発想が出てきそうですよね。

 

また、論理的思考なんかは、身に付けるための教本が巷にあふれかえっているように、現代社会では必須能力となってます。

 

こんな感じで、すぐには実益に結び付かなくても、長期的にじっくりしっかり勉強することによって、あらゆる場面で役立つ能力が鍛えられると思うんです。

 

あるいは、何かのめり込むものがあったとき、勉強することによって、興味の幅や可能性が広がることだってあると思うんです。

 

例えば、音楽が大好きな息子がいるとします。

「俺は、将来ミュージシャンになるんだー!!!」とか言い出す始末。

まぁ、夢を持つのはいいんですが、ミュージシャンで生活していくなんて、相当な狭き門。

 

そんな中、物理の授業で音の伝わり方を学んでいるときに興味を持ち、音響施設の開発にも目線を向け始めるかもしれない。

あるいは、骨伝導に興味が行き、生物も真剣に勉強し始めるかもしれない。

はたまた、音楽がもたらす心理的効果に関心が行き、脳内物質の分泌とかにたどり着いたら、生物や化学の勉強にのめり込むかもしれない。

心理的影響を言語化するには、国語の能力だって必要。

 

音楽が好きだからと言って、なにも人前で演奏するだけが仕事ではないわけで、あらゆる教科の勉強が、音楽好きの可能性や興味を広げてくれることだってあると思うんです。

 

僕なりにまとめてみると…

 

「どうして勉強するの?」って子供に聞かれたら、

1.いつか必ず生きてくる大事な能力が、実感はなくても、じっくりと身に付く

2.興味や可能性の幅を広がる

だから、勉強する。って感じかな。

 

やんなきゃいけないこと・やるべきことを、(最初は乗り気がしなくても)一生懸命やってると、いつの間にかのめり込んでたりするもんだと思うんですよね。

 

だから、子供達には、まずは勉強をやってみて欲しいと思います。

 

ま、こんな説教じみたこと言ってるけど、これを、若い頃の僕に聞かせてやりたい。

今となっては、まじめに勉強しておけばよかったなーと、ちょっと後悔。

いや、ちょっとどころではない。かなり後悔。。。

戦略思考は一日にして成らず

子供が小さい頃は、色んな昔話を読み聞かせてあげたものです。

息子なんかは、桃太郎の話を聞かせたすぐ後に、「僕、桃太郎になる!」と言い出す始末。

 

ちょうどその息子が、2歳になるかならないかの頃、新宿にある大きな書店の壁一面に置かれていたのが、「昔話の戦略思考/梶井厚志(著)

 

折しも、息子に色々と昔話を聞かせていた頃で、昔話と戦略思考が全く結びつかなかった私は、面白そうだと思って買ってみました。

 

しばらく積読状態だったのですが、梅雨時、雨の休日に読む本がなくなり、本棚をあさって見つけたこの本を、やっと読み終わりました。

 

===================

 

タイトルに、”戦略思考”とあるからと言って、戦略的思考の技術が身に付くなんて安直な期待はしない方が良いです。

 

むしろ、思考遊びを存分に楽しむための本です。

 

昔話と落語を材料にして、それらを経済学的視点で話を掘り下げ、面白みを追及したり、時に皮肉ってみたりして、単純明快な昔話を、深く深く探求していき、知的好奇心を刺激してくれる一冊です。

 

経済学的視点と言っても、とても分かりやすく解説してくれているので、経済なんてチンプンカンプンな方(私)でも、眉間にしわを寄せることなく、クスっと笑いながら読むことができます。

 

この本に書いてある「わらしべ長者 ものの交換価値を考える」の章は、高校の国語の教科書にも採用されているようで、著者の思考を読むことによって、元の話「わらしべ長者」をさらに面白く読めるようになると思います。

 

後半は、昔話だけでなく、落語を掘り下げているんですが、私、全く落語を知らなかったんですけど、この本を読んで落語への興味が湧いてきたのもうれしい誤算です。

おそらく、著者の方が、簡易なんだけど、面白さが伝わるように書いてくれているんでしょうね。

 

あと、最近よく聞く「仮想通貨」であるとか、「ブロックチェーン」なる仕組みも、落語と掛け合わせて、分かりやすく解説してあって、やっと謎が解けたって感じです。

 

ちなみに、著者の方がお茶屋バーに行った時のエピソードは、学びもありつつ、面白くもあり、この本の親しみやすさをグーンっとアップさせている気がします。

 

戦略思考は、勉強したからと言って、今日明日身に付くものではなく、こういった思考との戯れが土台となり、そしてそれが、少しずつ蓄積していった結果、いつの間にか身に付いているものなんじゃないかと思うんです。

 

そういった意味で、戦略思考の礎を築く上でも、お勧めできるんじゃないかなーと思っています。

昔話の戦略思考/梶井厚志(著)

 

楽しみながら読めるので、梅雨時の休みの日や、梅雨が明けた地域の方は、夏休みにでも読んでみてはいかがでしょうか?

 

あるいは、子供の読み聞かせに。。。そしたら、いつの間にか、戦略思考が身に付いた子供に育ってる!?

幼児体験を求めて沖縄行ったけど、全く覚えていない娘

我が家は、沖縄が好きで、子供が生まれる前は、夫婦で(付き合っていた時代も含め)2~3年に1回のペースで行ってた。

上の子がお腹にいることが分かってからは、しばらくの間行ってなかったんだけど、その子が生まれて2歳になった頃、妻とそろそろ行こうかって話になった。

2歳までなら、飛行機も無料で乗れるしね。

 

一方で、懸念にあがったのが、2歳の子供が沖縄行って楽しめるのか??ってこと。

 

我が家は沖縄行っても、特にアクティビティをするわけでもなく、浜辺でボーっとする。たまにシュノーケリングする。昼寝する。ドライブする。海風を浴びる。星空を見上げる。おいしい沖縄料理を食べる。の繰り返し。

大人は日常を忘れ、これで十分満喫できるんだけど、いくらなんでも子供は楽しめないだろう、、、かといって、自然と触れ合うことが楽しみなので、できればアミューズメント的なところには行きたくない。

 

であれば、あのエメラルドグリーンの海やサンゴ礁の美しさが多少でも分かるようになってからが良いんじゃないか?ってことになり、お金はかかってしまうものの、翌年の夏、3歳になるまで待とうということになった。

 

そして、11年前の夏、3歳の娘を連れて石垣島へ行った。

いくつかのビーチに行き、綺麗な海を眺めたり、泳いだりした。

カラフルな熱帯魚だって見た。

竹富島に行って、サイクリングもした。

川平湾でグラスボートにも乗った。

 

娘も、海辺のナマコを触って大喜び。

竹富島で、星の砂も必死で探した。

綺麗なハイビスカスを見てうっとりした。

三線(沖縄の三味線)だって弾いて遊んだ。

 

3歳の娘も大いに楽しんでくれた様子。

多少金額は掛かったものの、1年待って良かったと私たち夫婦も喜んでいた。

その時は。

 

その後も、宮古島と本島に何度か行き、最後に行ったのが、コロナ禍前の2019年の夏。

上の娘も、すでに10歳となり、自ら率先して沖縄を楽しむまでに成長した。

 

その直近の沖縄旅行の際、「○○ちゃん(長女)は、3歳の時に石垣島行ったのが、人生初めての海水浴だったよね。」って話になった。

 

しか~し、娘は全く覚えていなかった!!!!

 

ナマコ触ったことも、星の砂探したことも、三線弾いたことも、全く覚えていない。

 

。。。(両親が悲しみに打ち砕かれる)

 

わざわざ、飛行機代のかかる年齢まで待って行ったのに。。。

原体験っていったい何?

 

まあ良い。

きっと脳みその奥底に貴重な体験として蓄積されているだろう(ってことにしよう)。

そして、目には見えない、娘の良い方向への成長に寄与しているだろう(ってことにしよう)。

 

今にして思えば、別に沖縄みたいな特別な場所でなくたって、その辺にでも子供を連れ出して、色んなものを見たり、聞いたり、触ったり、嗅いだり、食べたりすれば、その体験がその子にとっての滋養となるのではないかなと思った。

子供に一人部屋(あるいは学習机)をいつ与えるか?

皆さんのご家庭では、お子さんに子供部屋(あるいは学習机)をいつ頃与える予定ですか?あるいは、与えましたか?

 

我が家は、娘が中学校に入ってから、自分の部屋&学習机を与えました。

小学校入学時には、子供部屋を用意しようとか、学習机を購入しようとは、全く考えませんでした。

 

いや、2秒くらい考えたかな。。。

ランドセルを買いに行ったときに、学習机も売ってて、それを見たときに、

「買う?そして、子供部屋準備する?」と頭をよぎりましたが、

2秒で、「無いな。」という結論に至りました。

 

 

我が家で、娘が中学生になるまで自分の部屋を与えなかった一番の理由は、スペースの問題です。

大きな家にお住まいの方は、こんなこと全く問題にならないんでしょうけど、東京23区内で家賃のそれなりにかかる地域で、こじんまりと過ごす我が家において、たかだか小学1年の子に、一部屋を丸々分け与えるのは、贅沢極まりない行為に思えたんです。

 

僕が住んでる地域のワンルームマンションの家賃相場が約8万円。

それを参考にすると、小学1年生に自分の部屋を与えるということは、毎月8万円とまではいかないまでも、(風呂とかトイレのスペースを引いたとすると)5万円程度の不動産を提供してるのと同じことになるんじゃないかと思ったんです。

これって、結構な投資だと思いません??

 

 

もう一つは、親の目の届く所(リビング)で勉強させたかったことです。

これは、勉強してるのか、してないのかを監視するというよりも、”どこでつまづいてるのか?”を察知するためです。

 

難しい問題に出会うと、子供の持つ鉛筆の動きが止まります。

足をブラブラ動かし始めます。

キョロキョロし始めます。

ときには、鉛筆を転がしたり、消しゴムをクネクネさせたりし始めます。

 

そうなったら、さりげなく近づいて行って声を掛けてあげます。

で、少し考えればわかりそうであれば、ヒントをあげてその場を立ち去り、なかなか難しいだろうなと思えば、一緒に考えてあげます。

 

こうやって苦手分野のデータベースが蓄積されていると、夏休みや冬休みなんかの長期休みに、重点的に振り返ることだってできます。

 

 

3つ目の理由は、第2次性徴期(いわゆる思春期)を迎える頃と小学1年生とでは、学習机や椅子に求める要素(デザインも含め)が大きく変わりそうな気がしたからです。

 

娘は、自分の部屋を持ったタイミングの中学校入学時に、学習机やら椅子を買ったのですが、小学校入学時だったら絶対買わなかっただろうな、という机と椅子を買っています。

端的に言うと、大人が使うようなデザインの机と椅子。

 

おしゃれ心の芽生えた中学生。

オシャレでカッコいい机を追い求め、ややもすると、本来の目的である勉強するための机であることを忘れ、おしゃれな部屋の装飾品としての机になりそうな始末。

 

なので、机・椅子の購入目的(勉強のため)を娘と共にきちんと確認し、その目的を果たすために必要な機能(天板の広さ・引き出し・色などなど)をピックアップし、その条件に合う机であれば、あとは気に入ったもので良いってことにしました。

 

結果的に、娘の構想に近い部屋づくりができたようで、本人も満足そう。

気に入った部屋・学習机であれば、勉強にもモティベーション高く取り組んでくれるはず!!と淡い期待を寄せていたのですが、そこまで甘くはなかったようです。。。

 

ちなみに、学習机やら椅子やらデスクライトを購入するときは、こちらのサイトを参考にさせてもらいました。

学習机評論家のオススメ | 学習机評論家・収納マンが、学習机の選び方やおすすめのデスクなどを紹介します

とても役に立ちました。

ありがとうございます。

 

 

なお、子供部屋を用意しない場合、気を付けておいたほうが良い点がひとつだけあります。

それは、教科書・ノート・道具箱やら鍵盤ハーモニカを収納するスペースは、どうしても必要なので、そのことはお忘れなく。

絵具道具・習字道具・鍵盤ハーモニカ・お道具箱…これらは、けっこうな場所を占拠します。

 

あー、お父さんの書斎(というかワークスペース)にも、かっこいい机が欲しいな。

我が子に伝えたい僕の後悔

現在46歳の僕は、これまで、わりに周りの雰囲気に流されず、自分で(その時なりに、無い頭で)考え、進学先やら就職先やら結婚やらを選んできたので、あまり後悔していることはない。

 

そんな僕だけど、とても後悔していることが1つだけある。

今、中学生の娘と小学生の息子がいるんだけど、お父さんが抱える後悔を、時が来たら、2人の我が子に伝えようと思っている。

 

その後悔は、好きな人に好きと言えなかったこと。

 

僕が大学1年生の頃のことで、その人は、同じ大学のサークルの2つ年上の女性。

大学生の頃、僕はよく休みの日の朝に、思いつきで、一人電車に乗って横浜に行き、フラフラ散歩してたんだけど、そんな話をその人にしたら、「今度行くとき誘ってよ。」と言われた。

 

その時は、特に恋愛感情みたいなものはなかったけど、話してて楽しい人だし、今度行くときは、声を掛けよっかなくらいにしか思ってなかった。

 

そんな話をしてから、しばらく経ったある休みの日の朝、今日は天気も良いし、いつものように、横浜にでも行ってみるかなと思い立った。

そして、ふと、そう言えば、今度横浜行くとき誘ってって言われてたな、と思い出し「これから横浜に行こうと思うんだけど、どう?」と、電話してみた。

 

彼女は、まだ寝ていたみたいで、突然の誘いにしばらく考えを巡らせた後、けっきょく一緒に行くことになった。

これをきっかけに、彼女とは色んな所に遊びに行ったり、旅行に行ったりするようになり、僕の気持ちも彼女に惹かれていった。

 

ある時から、会うたびに、きちんと自分の気持ちを伝えようと思うんだけど、小心者で臆病な僕は、「好き」の一言がなかなか言えなかった。

きっと彼女も、その一言が欲しかったんじゃないかなと思う。

 

そんな調子で時間ばかりが過ぎ、けっきょく彼女は大学を卒業し、離れ離れになってしまった。

今にして思えば、彼女に本当に申し訳ないことをした(しなかった)なと思う。

 

 

ところで、誰かは忘れたけど、ある人が、こんなことを言ってた。

「やった後悔は、時間が経つにつれて薄れていくけど、やらなかった後悔は、時間が経つにつれて大きくなる」と。

 

僕は、一般的なレール(進路)を外れて、やりたいことをやりたいようにやってきた。けっこうしんどい思いもしてきたけど、そんな後悔は、時間が経った今となっては、話のネタになってる。

確かにやって失敗した後悔は、日に日に薄れていくのを感じる。

 

一方で、やらなかった後悔は、大学生から四半世紀以上経った今でも、大きく残っている。

 

だから、今では、好きな人には好きと言おうと思い、奥さんや子供達に向かって「好きだー、好きだー。」っていつも連呼してる。

 

子供たちからは、気持ち悪がられるけど、良いんです。

好きな人に、好きと言えるようになったんです。

公園の遊具が、どんどん小さい子向けになっている

天気の良い休日、小1の息子を連れて、自転車でいくつかの公園(東京・23区内)をめぐったりするんですが、どの公園も小さい子向けの遊具ばかりで、小1には少々物足りない様子。

 

上の子が小1だった6年ほど前には、けっこう激しい遊具があちこちにあり、

「あそこの公園には、木でできたアスレチックがあったよなー」とか

「向こうの公園には、段ボールで滑ったらスピードが出て面白い滑り台あったよなー」とか

記憶をたどって行ってみるんですが、軒並み、小さくて綺麗な遊具に代わってるんです。。。

 

まあ、公園を管理する自治体も、子供の安全性とか遊具のメンテナンスとか考えてるんでしょうね。

子供たちって、天才か?っていうぐらいの発想力で、遊具の使い方を創意工夫して遊び始めたりします。で、それが、見ていて危険だったりする。(本人たちは、スリルを楽しんでるんでしょうけど。。。)

 

また、木でできたアスレチックなんかだと、雨に打たれて木が朽ちたり、ネジがゆるんでグラついたりする危険性があるので、メンテナンスも大変そう。

数多ある公園を毎日ぐるぐる回って点検するのも、けっこうな労力がかかるでしょうし。

 

そう考えると、致し方ない流れなのかなーと思ってしまいます。

 

けど、激しい遊具って、身体能力(感覚)、あるいは危険予知能力(これ以上やると危険だって判断できる力)を高めたりするのに、けっこう良いと思うんですよね。

 

はたまた、東京23区内だと、ボール遊びが制限されている公園も多く、(行き場を失ったかどうかは分かりませんが)小学生たちがベンチに座ってゲームをやっている姿をよく見かけます。

 

近年、子供たちの身体能力が低下しているなんてニュースを耳にしますが、こういった環境も影響しているかもしれませんね。

 

そうは言っても、環境を嘆いてばかりいては、何も変わりません。

なんせ、うちの小1の男の子は、ハイパー運動オンチ(かけっこは、安定のビリ)なので、少しでも複雑な動きを通じで、身体能力や体力を高められるよう、お膳立てしてあげねば!っと思っています。

 

うー---ん、どうしたら良いのか。。。

 

一つ思いつくのは、運動系の習い事に行くとかでしょうか。

体操教室やダンス教室なんかは良さそうかな。社交ダンスあたりだと、やっている人が少なそうだから、スーパー運動オンチの我が子でも、すぐに上手な部類になれそうだし(甘いか?)。

野球やサッカー等の球技系もあるけど、スー△ー運動★ン※(あんまり連呼すると可哀そうなので、文字化けしてみた)の我が子の場合、周りに付いていけなくて辛い思いをしそうなので、やめておいた方が良いかな。

 

もう一つ、思いつくのは、有料のアスレチックコースのある公園に行くってあたりでしょうか。

例えば、こんな感じのところ

www.shimizu-kouen.com

 

こんなところだと、大人も楽しみながら、運動不足を解消できそう。

 

運動が得意な子は、放っておいても、「野球やりたい!」とか「サッカーやりたい!」とか、親が大変になるくらい、動き回るんでしょうけど、あまり運動が得意でないうちの子なんかは、親が意図的に運動する機会を作ってあげねばと思っています。

 

それはそうと、そろそろ補助輪なしの自転車に乗れるようになってほしいんだけどなー。

我が家が子育てで意識していること

子供が生まれたときに、ある程度、子育ての指針を夫婦で共有しておいた方が良いのかなーと思い、我が家では「主体的に遊ぶ能力を鍛える」ことを指針としました。

なんもないところから、楽しみを見出して遊べるようになってほしいなーと考えてのことです。

 

最近は、エンターテイメントのクオリティがめちゃ高いから、お金さえ払えば受け身のままで、いくらでも楽しめちゃう。でもこれって、裏を返せば、主体的に遊ぶ能力が低かったら、お金がないと楽しめないってことですよね。

時間はあるけどお金がないときに、「ヒマだ―、ヒマだ―」と言って、うだうだ過ごすよりも、無目的に散歩するだけで楽しめたり、図書館で本を借りてきて読むだけで楽しめたら、けっこう人生の幸福度が上がりそうじゃないですか?

 

あともう一つ、主体的に遊べる能力を鍛えておくと、面倒な勉強やつらい仕事の中にも、自分なりの楽しみを見つけ出せるんじゃないかなーと思うんです。

そしたら、自ら進んで勉強しちゃうとか、仕事もクオリティ高くできちゃうとかも期待できそうだし。

 

ちなみに僕は、できれば仕事をせず、毎日ブラブラ過ごしたい人間なんですが、そうも言ってられないので、仕事の中で、日々小さな達成感を感じられるような小細工をしたり、打ち合わせなんかの時も、「相手を最低1回笑わせる!」っていう(クソどうでもいい)ことを目標に添えて、小さな楽しみを感じながら、なんとか日々乗り切っています。

 

こんな感じで、主体的に遊べる能力が高いと、人生の幸福度が上がりそうな気がするので、子供にはこの能力を鍛えてほしいなーと思っています。

 

じゃあ、どうやって、主体的に遊ぶ能力を鍛えるの??

 

知育玩具を与えまくる??

なんか、意識高い系みたいだし、、、。(どちらかというと、我が家の意識は底辺をさまよってる系だし、、、)

 

そこで、まず一つは、「全てを揃えることを目指さない。」ことにしました。

(おぉ!「目指さない」って言葉が、底辺うろつき系の我が家にはピッタリ!!)

 

どういうことかって言うと、例えば、何かを完成させるにはパーツが足りない。けど、完成させたい。じゃあどうする?

諦めてもいいし、他で代用してもいいし、完成形のベータ版を目指してもいいし、、、て感じで、子供に任せちゃう。

 

あるいは、子供を100均に連れていき、500円以内で好きなの買っても良いよーって言って、カゴとか棒とか網とか買わせる。そんで、なんちゃってDIYやらせるとか。

そしたら、上の子が小さいときは、嬉々として作っていました、何かを(何かは、本人にしか分からん)。

 

あとは、我が家の場合、旅行は遊園地ではなく、海とか山に行くってことかなー。

僕が、人混みが全然ダメなので、子供たちのブーイングを押し切り、旅行はたいてい海や山。週末のお出かけも、神社や寺やちょっとした公園。

そんなとこばっかり連れて行ってたら、そのうち子供たちも慣れますよ(あきらめとも言う)。そして、山に行けば、葉っぱやら木の実や棒を拾ったり、海に行けば貝殻やシーグラスを探するようになります。

 

ちなみに、よく槍玉に挙げられるゲームですが、僕は探求心をもってのめりこめば、ゲールも良いんじゃないかなと思ってます。(うちの子は、欲しがらないので持っていませんが。。。)

勝つための作戦を考えたり、クリアするための戦略を考えたり、あるいはゲームの制作そのものに興味を持つかもしれませんし、どっぷりのめりこめば、主体性も育まれる気がします。

僕のいとこは、ゲーム好きが高じてパソコンに興味を持ち、今はITエンジニアとして楽しく仕事をしてるし、ゲーム制作会社を立ち上げて、けっこううまくいってる知人もいます。

 

とまあ、こんな感じで、子育てした結果、我が家の子供たちはどうなったか??

 

上の子(中1の娘)は、無目的に街中をサイクリングするのが大好きになりました。

休みの日、暇さえあれば二人でサイクリングしています。

目的地なんてありません、ただただ、東京都内の街並みの変化を楽しむだけです。

 

一方の下の子(小1の息子)は、あやとりが得意になってしまいました。。。

ちなみに、息子は泣き虫で運動音痴。。。なんか、のび太君みたい。

 

なんか偉そうに語ってきましたが…そうは言っても、我が家もディズニーランド行ってるし、ユーチューブも見せてます。

あまりに高く厳しい目標は辛いです。

親が楽したいときは、ユーチューブに相手してもらいます。

子供の喜ぶ顔が見たいときは、ディズニーランド連れていきます。

 

あくまで、なんとなーく頭の中に「主体的に遊べ」ってことを意識しているだけです。

底辺うろつき系の我が家には、ガチガチの目標設定は無理です。